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エドワード・スタイケンに気をつけろ! 

2026-02-24||鳥原 学

昨年古本屋で500円で買った、ボーモント・ニューホールの自伝『FOCUS』。しばらく”つんどく”状態だったが、いざ拾い読みして見ると、当時の芸術写真界のバチバチの人間関係が書かれていて面白い。
なかでもMoMAの写真部門の責任者としてエドワード・スタイケンが来ることになり、ニューホールが辞職するあたり。

ニューホールに警告するスティーグリッツ。

「スティーグリッツは、以前の戦争(第一次世界大戦)で男たちに何が起きたかを見てきたため、当時の私(ナンシー・ニューホール)よりもボーモンについてよく理解していた。彼はまた、太平洋戦争における海軍写真の責任者であり、現在は大佐(Colonel)より一段階上の海軍の階級である代将(Captain)となったスタイケンに何が起きようとしているのかも見抜いていた。

スティーグリッツはレイク・ジョージから元気そうな様子で戻ってきており、私たちが様々なことについて心地よくおしゃべりをしていた時、突然こう言った。

「スタイケンに気をつけなさい」

「スタイケン?」と私は言った。

「なぜです?」

「彼は美術館にある君の部門を欲しがっている」

「でも、なぜ?」と私は尋ねた。

「あんな貧相で、胸が痛むようなものを、彼は一体何に使うというのですか?」

スティーグリッツは沈黙した。彼は自分が見たものを私に話そうとはしなかった。それは、スタイケンがその部門と美術館を、芸術としてではなく、コミュニケーションと勧告としての写真という、さらに膨大な展覧会を指揮するための巨大な舞台として利用するだろうということであった。ボーモン、アンセル、デイヴ、そして私が築き上げ、守るために戦ってきたすべてが否定され、スティーグリッツ自身が長年かけて築き上げ、戦ってきたすべてが否定されることになるだろう。

そのため、彼はただこう言った。「スタイケンを過小評価してはいけない。彼は常に何かを企んでいる。彼は権力者だ。用心しなさい」」

「スティーグリッツはかつて、「もしスタイケンを理解したいなら、彼が挫折した俳優(frustrated actor)であることを忘れてはならない」と言った。彼は非常に演劇的で、非常に感情的だった。

私の関心がますますファインアートとしての写真に向かっていたのに対し、彼の関心はますます、特に大衆を動かすための、写真の図解的な活用(illustrative use)に向かっていた。彼にとって写真の目的は「人間を人間に、そして各々の人間を自分自身に説明すること」だった。彼の最初の戦時中の展覧会「勝利への道(The Road to Victory)」(1942年)が示したように、彼はその嗜好においてポピュリスト(大衆主義者)だったのである」

あくまで、これはニューホール夫妻の視点。
ニューホールにしてもスティーグリッツにしてもお坊ちゃんでしたが、スタイケンは移民の子でしたし、コンプレックスをバネに力を求めたのかもと思う。